神戸地方裁判所 昭和32年(ワ)103号 判決 1959年10月28日
神戸市生田区山本通五丁目三番地の一
原告
アンドレアス・トムセン
右訴訟代理人弁護士
佐藤軍七郎
東京都品川区小山七丁目五百十番地
被告
アンネマリー・キュンケレ
東京都大田区雪ケ谷町五百五十七番地
同
陳秀実
東京都中央区日本橋本石町一丁目六番地の三
同
株式会社東京銀行
右代表者代表取締役
堀江薫雄
右被告三名訴訟代理人弁護士
久保田保
神戸市垂水区塩屋町梅木谷七百二十番地森ゆり子方
被告
パウル・ベッカ
右当事者間の頭書事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、
「一、被告キュンケレ及び同ベッカは、原告と被告等との間の神戸区裁判所昭和二〇年(ノ)第一一五号遺産分配調停事件につき、昭和二十一年七月十日同裁判所で成立した調停が無効であることを確認せよ。
二、別紙目録記載の建物につき、被告キュンケレは、神戸地方法務局昭和二十七年十二月十九日受付第二六六一二号を以てなした所有権取得登記の、被告陳は、同法務局前同日受付第二六六一四号を以てなした所有権取得登記の、各抹消登記手続をせよ。
三、別紙目録記載の土地につき、被告キュンケレは、神戸地方法務局昭和二十七年十二月十九日受付第二六六一三号を以てなした地上権の取得登記の、被告陳は、同法務局前同日受付第二六六一五号をなした地上権の取得登記の、各抹消登記手続をせよ。
四、被告銀行は、別紙目録記載の建物につき、神戸地方法務局昭和二十九年三月二十三日受付第四一三五号を以てなした根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。
訴訟費用は被告らの負担とする。」
との判決を求め、請求原因として次のように述べた。
一、原告と被告キュンケレはドイツ国籍を有するドイツ人で、亡ヨハン・ヘフケル・トムセンのただ二人の実子であるが、ヨハンは昭和十九年四月六日神戸市で死亡したので、同日相続が開始した。ヨハンは、その所有財産を二等分して原告及び被告キュンケレに遺贈し、遺言執行者に被告ベッカを選任する旨、自筆証書による遺言をしていた。
二、そこで、被告キュンケレは、神戸裁判所に対し、遺産分割の調停申立をなし、原告及び被告ベッカ関与のもとに、同庁昭和二〇年(ノ)第一一五号遺産分配調停事件として、昭和二十一年七月一日大要次のとおりの調停が成立した。
(1) 神戸市生田区神戸港地方字諏訪山三番地の一、宅地三百六十九坪五合六勺、同所同番地の六、宅地百三十九坪八合一勺、合計五百九坪三合七勺の地上権、及び訴外前田和一郎から原告並びに被告キュンケレに対し、昭和二十年三月十四日付書面により贈与された同所同番の十一宅地二十二坪八合五勺は、原告及び被告キュンケレにおいて二等分して取得する。
(2) 右地上に存する同所家屋番号五番の洋風家屋は原告が、同所家屋番号四番の洋風家屋は被告キュンケレがそれぞれ取得する。
(3) 原告及び被告キュンケレは、利害関係人である被告ベッカの相続財産の計算並びに分配案を承認する。
(4) 被告ベッカは、右計算により原告が受領すべき金一万四千七百九十五円二十六銭のうち金一万二千百四十八円五十二銭を、同被告が住友銀行三宮支店に預金中の遺産保管金を以て支払う。
(5) 被告キュンケレは、前記計算の結果原告に支払うべき金二千六百四十六 七十四銭を、昭和二十一年七月以降毎月末日限り金二百円宛(最終の月は金二百四十六円七十四銭)を十三回に支払う。
(6) 原告及び被告キュンケレは、各相続した宅地の地上権の登記をなす場合には、被告ベッカの指示に従い、双方協力すること。
そして、原告が被告ベッカから受領すべき金員は、調停成立後間もなく、原告においてこれを受領し、なお別紙目録記載の建物の所有権、及び同土地の地上権は、被告キュンケレの取得すべき部分に該当する。
三、ところが、後になって、右調停はつぎのような理由により無効であることが判明し、原告は、連合軍総司令部から、被告ベッカより受領した金員の返還を命ぜられた。
即ち、昭和二十年九月十三日付連合国最高司令官の日本政府に対する覚書(連合国及び枢軸国の財産保全の件)に基ずいて、同年同月二十日公布施行された大蔵省令第七十八号(特定国財産保全に関する件)は、「ドイツその他の国に国籍を有する人を特定国人とし、特定国人が支配する一切の財産を特定国財産と定め、大蔵大臣の許可を受くるに非ざれば特定国財産の得喪、滅失、毀損、変更または移転を生ずべき取引、または行為をなすことを得ない」旨定めているが、右調停は大蔵大臣の許可を受けることなく、特定国人である原告及び被告キュンケレの相続財産の分割(動産不動産全部についての分配及びこれに伴う金銭の授受を行う)を定めたものであり、昭和二十年九月十三日現在における特定国財産の維持を目的とする同省令による財産凍結の効力を著しく左右するものであるから、明白に右禁止規定に違反し、かつ、総司令部により処分を禁止された財産権、したがつて、日本国の国権の範囲外に属する事項について、管轄権(裁判権)のない神戸区裁判所によつて調停されたものであるから、内容的にも手続的にも当然無効のものである。
よって、被告ベッカは、昭和二十二年頃総司令部に対し、調停認可の申立をしたが、昭和二十三年二月二十四日付大蔵省管理局長名を以て、「総司令部から、前記調停は総司令部の覚書に基ずく大蔵省令第七十八号に違反するから、認可申請の件はこれを許さず、かつ、爾後の財産の処分行為は禁止する旨の覚書が交付された。」という通知が原告、被告ベッカ、住友銀行、及び神戸地方裁判所に対してなされた。
これは、調停成立当時総司令部の指令に違反するから、その効力を生じないことの宣言がなされたものである。
四、このように、調停が無効である以上、原告と被告キュンケレとの間に相続財産分割の合意がなかつたことになり、したがつて、右相続財産については、日本民法及びドイツ民法のいずれによつても、原告及び被告キュンケレが単独でこれを処分することができない筋合である。
五、しかるに、被告キュンケレは、右調停に基いて別紙目録記載の建物の所有権、並びに同土地の地上権について、神戸地方法務局昭和二十七年十二月十九日受付第二六六一二号、同二六六一四号を以て、昭和十九年四月六日相続を原因とする旨の取得登記をなし、昭和二十七年十二月十九日被告陳に対し、同法務局前同日受付第二六六一三号、同第二六六一五号を以て、右所有権並びに地上権譲渡による各移転登記をした。
六、次に、被告陳は、別紙目録記載の建物について、被告銀行のために神戸地方法務局昭和二十九年三月二十三日受付第四一三五号を以て、根抵当権設定登記をした。
七、しかし、被告キュンケレは未だ単なる観念上の相続分を有するに過ぎず、具体的な財産を単独で取得していないのであるから、同被告の所有権及び地上権の取得登記は、実体上の権利関係に添わない無効のものであり、被告陳は無権利者からその所有権及び地上権を取得したことになり実体上権利の変動を生じないので、同被告の権利取得登記も無効のものであり、被告銀行の有する根抵当権設定登記は、被告陳が他人所有の建物についてほしいままに抵当権を設定したことになり、これまた実体上の権利に添わない無効の登記である。
八、そこで、原告は、被告キュンケレ及び同ベッカに対し調停が無効であることの確認と、被告ら(被告ベッカを除く)に対し、別紙目録記載の建物の所有権及び同土地の地上権が原告と被告キュンケレの共有財産に属するものであるにも拘らず、右被告らが前記のような各権利取得の登記をしているので、その抹消登記手続を求める。
被告キュンケレ、同陳、同銀行の抗弁に対し、次のように主張した。
一、抗弁第一項は否認する。右被告三名訴訟代理人主張のように、被告キュンケレは政令第二百五十二号にいわゆるドイツ人と認定され、ヨハンの遺産に対する同被告の持分も含めて、その所有財産はドイツ人財産として米英仏三国に帰属し、本来ならば調停によりヨハンの遺産は具体的な分割がなされたのであるから、別紙目録記載の各不動産上の権利も同被告の財産として他の所有財産と同様に三国によつて処分されるはずであつた。しかし、連国最高司令官は前記のように調停が昭和二十年九月十三日付日本政府に対する覚書に違反すると宣言した関係上、遺産を未分割のものとして取扱い、被告キュンケレが単に観念的な相続分を有するに止まるものとし、改めて日本政府延いては最高司令官による許可によつて分割がなされない限り、これを処分(没収、売却)することができないものとし、その結果米英仏三国委員会は日本国政府に対し昭和二十七年十二月十三日付書面を以て、ヨハンの遺産について、連合国最高司令官が発した覚書及びこれに基ずいて日本政府が発した命令による制限の全条項から解除されたこと、この解除の効力発生に要する行為を大蔵大臣がなすべき旨通告した。れこで、日本政府は原告に対し前同日付書面で、ヨハンの遺産凍結が解除されたのでこれを原告及び被告キュンケレに引き渡す旨通知した。したがつて、別紙目録記載の不動産上の権利が三国委員会によつてドイツ財産から解除されたのは、三国に帰属した財産の譲渡ではなく返還とみるべきものであり、しかも、原告及び被告キュンケレの両名に対し返還されたものであつて、被告キュンケレのみが単独で三国委員会からその譲渡を受けたと主張することはできない。
二、権利濫用の抗弁について争う。原告は、昭和二十八年一月六日日本政府から遺産凍結解除の通知を受け、当時被告キュンケレがドイツに居住していたためその代理人ラドルフ・ハーバート・ウイルウエーバー及び被告陳と数年間折渉を重ね、また大蔵省の役人らと交渉を続けたが、遂に結論を得ないので本訴を提起したものであつて、被告訴訟代理人主張のように原告が権利主張を怠り第三者に権利が移転してから突如として無効を主張したものではない。
立証(省略)
被告キュンケレ、同陳及び被告銀行訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のように述べた。
一、被告キュンケレの答弁。
請求原因第一、第二、第五、第六項は認めるが、第三項中原告が総司令部から金員の返還を命ぜられたこと、及び大蔵省管理局長から通知があつたことは不知、その余の主張は否認する。
二、被告陳、同銀行の答弁。
請求原因第五、第六項は認めるが、第一、第二項、及び第三項中大蔵省管理局長から通知があつたことは不知、その余の主張は否認する。
三、原告訴訟代理人は原告、被告キュンケレ間の調停が無効であると主張するが、調停の無効と調停条項の内容の無効とは厳密に区別されなければならない。調停にその手続上無効とすべき法令違背がある場合には、調停そのものを無効とすべきであるが、調停条項の内容が法令に違反するといつて、直ちに調停そのものが無効となることはない。原告訴訟代理人は、本訴において単に調停条項の内容のみが大蔵省令第七十八号に違反していると主張するのであるから、調停そのものを無効とする請求は許されない。
四、原告訴訟代理人は、調停認可の申請に対し、総司令部からこれを許さず、かつ、爾後の財産の処分を禁止する旨の覚書を交付されたと、大蔵省管理局長名で通知があつたと主張するが、右はその主張のような内容ではなく、被告ベッカが調停条項の内容の一部である預金の振替を履行するためになした許可申請に対し、不許可となつたことの回答通知であつて、総司令部が調停そのものを不許可にしたとの通知ではない。そして、調停自体はもちろん、調停条項の許可不許可に何等触れることなく、遺産上に決められた爾後の執行行為を禁止したものである。
しかも、右通知は、大蔵省令第七十八号昭和二十三年二月十日公布同日施行された同省令第十二号により改正されて、原告が同省令に規定する特定国人に非らずとされ、したがつて、大蔵大臣の許可を要せずしてその所有財産を処分し得るようになつた後である同年同月二十四日なされており、右改正省令と矛盾するものであるから、当然何等の効力も生じ得ない。
五、ヨハンの遺産分配を約した調停条項は、原告主張の大蔵省令第七十八号により無効となるものではない。その理由は次のとおりである。
(1) 右省令は、連合国最高司令官が日本国政府に対し、ドイツ国政府並びにドイツ国民の日本にある財産の凍結を命じた昭和二十年九月十三日付覚書に基ずいて公布されたものであり、この凍結は連合国のベルリン会議議定書に基ずいてドイツ国に対する賠償請求権保全のためになされたるものである。保全のための凍結であるから、その効力は民事訴訟法における仮差押、仮処分と同様に考えるのが相当であり、凍結を規定する同省令に違反してなされた行為の効果は、無効となるものではなく、単に連合国に対抗できないと考えるべきである。
(2) 仮りにそうでないとしても、別紙目録記載の不動産上の権利を含むヨハンの遺産は、同省令の施行前である昭和十九年四月六日相続によつて、原告、被告キュンケレの共有財産となつたもので、その持分も平等であり、その平等の持分を取りきめる分配の約定がなされても、凍結の効力は具体的に分配された財産の上に持続され、何等同省令の目的を害することもないし、具体的に分配された財産の取得は、ドイツ民法により相続開始の時にさかのぼるから、同省令の施行時である昭和二十年九月二十日以後における財産の変更、移動に該当しない。
(3) 係争調停条項が、同省令に規定する財産の変更、移動に該当し、大蔵大臣の許可を要するとしても、その許可については、取引または行為の事前事後のいずれに要するかにつき、何等定めるところろがない。したがつて、調停の成立後許可申請をなし、許可があれば有効となるはずである。
ところで同省令は昭和二十三年二月十日大蔵省令第十二号により改正された結果、原告は同省令にいわゆる特定国人から除外されることになり、したがつて、その所有財産も特定国財産でなくなつた。そして、改正省令は同年一月十二日から適用する旨定めているので、同日以後原告の財産についての変更、移動を生ずべき行為については大蔵大臣の許可を必要としなくなつたので、この省令の改正によつて遺産分配の効力要件は完全に充足されたのである。
抗弁として、次のように主張した。
一、前記大蔵省令は昭和二十五年八月四日公布施行された政令第二百五十二号(ドイツ財産管理令)により廃止されたが、同政令は、「その第二条第二項でドイツ人について、昭和十四年九月一日以後ドイツ国の国籍を有したことのある者、ただし、昭和二十年九月二十日においてドイツ国外に居住していた者で、(イ)ドイツ国が昭和十三年一月一日以後併合し、または併合したと主張した国の国籍を有する者、及び(ロ)戦時中ドイツ国若しくはその同盟国を援助し、または援助しようとしたことがなく、かつ、戦争準備のためドイツ国またはその同盟国を援助したことのない者を除くと定め、同条第五項でドイツ人財産について、昭和二十年九月二十日以後昭和二十三年七月一日前にドイツ人が有した債務以外の財産で本邦内にあるものと定め、第四条第一項で、昭和二十四年十月十三日においてドイツ人財産は、他の法令の規定にかかわらず同日において、アメリカ合衆国、イギリス連合王国、及びフランス共和国(以下三国という)に帰属したものとすると規定している。
ところで、原告は右(ロ)に該当する者として同政令にいわゆるドイツ人でなくなつたが、被告キュンケレは右の(イ)または(ロ)に該当しないので、同政令にいわゆるドイツ人と認定され、その所有財産はドイツ人財産として別紙目録記載の不動産上の権利を含めて昭和二十四年十月十三日三国に帰属した。したがつて、原告は同月以後被告キュンケレに対し、別紙目録記載の不動産上の権利につき、何等異議を述べることができなくなつた。
その後、連合国最高司令官は、昭和二十六年九月二十三日被告キュンケレに対し、三国に帰属した右不動産上の権利を同被告に譲渡することに決定した旨通知し、被告キュンケレは同年十月二十二日これを受諾する旨の回答をなし、同司令官の要求した同被告の代理人として資格を持つ・ドルフ・ハーバート・ウイルウエーバーを選任し、同年十一月二十六日ウイルウエーバーにおいて右不動産の引渡を受け、被告キュンケレがその権利者となつた。
別紙目録記載の不動産上の権利が三国に帰属したこと、並びに被告キュンケレに譲渡されたことは、いずれも連合国最高司令官の指令によるもので、日本国主権の上にあつた最高司令官の至上命令による行為であつて、被占領国に居住する原告においてこれを拒否ないし否認することはできない。
二、仮りに右主張が理由なく、調停が無効であるとしても、原告の調停無効による本訴は、信義誠実の原則に反し、権利の濫用であるから許されない。すなわち、調停が成立したのは昭和二十一年七月一日であり、本訴の提起は昭和三十二年二月四日であつて、原告は十年六カ月余もその無効を主張することなく放置し、その目的物件が第三者に移転し、更にそれが他人の権利の目的となるに至つて突如その無効を主張し、これを原因として登記の抹消を求めるのであるから、既に確立している事実関係を不当に破壊し、かえつて当事者相互の公正関係をみだすものであつて、信義則に反し権利の濫用である。
立証(省略)
理由
先ず原告と被告キュンケレ及び被告ベツカ間の調停無効確認の請求について考えてみよう。
右は原告から共同相続人である被告キュンケレ、及び遺言執行者であり調停の利害関係人である被告ベッカを相手方として、遺言に基ずく遺産分割の調停無効確認を求めるものである。したがつて、共同相続人、遺言執行者間においては性質上共同訴訟人に対して同一趣旨の判決をしなければ訴訟の目的を達することができない場合であつて、いわゆる類似必要的共同訴訟に該当するものと考えるのが相当である。そうすると、被告キュンケレと被告ベッカ間においては民事訴訟法第六十二条の適用があり、被告ベッカについて同法第百四十条による擬制自白も、被告キュンケレの訴訟行為と一致する部分以外はその効力がないことになるので、結局被告キュンケレの訴訟行為を基準として判断する。
原告と被告キュンケレはドイツ国籍を有するドイツ人で、亡ヨハン・ヘフケル・トムセンのただ二人の実子であること、ヨハンは昭和十九年四月六日神戸市で死亡し、同日相続が開始したこと、ヨハンは自筆証書で、その所有財産を二等分して原告及び被告キュンケレに遺贈し、遺言執行者に被告ベッカを選任する旨遺言したこと、原告、被告キュンケレ及び被告ベッカ間に昭和二十一年七月十日神戸区裁判所で、同庁昭和二〇年(ノ)第一一五号遺産分配調停事件として、原告主張のような調停が成立したこと、その調停条項により、別紙目録記載の建物の所有権及び土地の地上権は被告キュンケレが取得すべき部分に該当し、原告が被告ベッカから受領すべき金員は原告においてこれを受領したこと、以上の事実は当事者間に争がなく、亡ヨハンがドイツ国籍を有するドイツ人であつたこと、その遺産が昭和二十年大蔵省令第七十八号施行時同令にいわゆる特定国財産に該当したことは、弁論の全趣旨により明らかである。
原告は遺産分配の調停が右省令に違反するから無効であると主張し、被告らはこれを争うので考えてみよう。
調停は調停機関が仲介あつせんして当事者間に和解を成立させて紛争を解決するものであるから、成立した調停の内容に私法上の無効原因が存在する場合には、当然調停が無効になると考えられる。
係争の調停は、亡ヨハンの遺産を同人の遺言にしたがつて共同相続人間において遺言執行者を交えて、遺言分割の方法を約定したものである。その効果は相続の効力の問題として法例第二十五条により、被相続人である亡ヨハンの本国法のドイツ民法によることになる(ドイツ国際私法においても相続の効力は被相続人の本国法による旨定めているので日本国法に反致しない)。ドイツの相続法によれば遺産分割の効力については債務法の共同廃止についての規定を適用することになつており、遺産の分割は一般の共有物の分割と同様に交換または売買類似の有償行為に外ならないから、分割の時から始めてその効力を生ずることになる。したがつて、遺産分割の合意をなす係争の調停は、同省令にいわゆる特定国財産の得喪移動を生ずべき法律行為に該当するものといわねばならない。
ところで、同省令制定のいきさつは、成立に争のない甲第六号証の三、証人竹内一郎、同佐々木一美の各証言、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、連合国最高司令官は、ドイツ、イタリヤ等に対する米英その他の連合国の賠償請求権を確実にするために、日本国政府に対し昭和二十年九月十三日付覚書を以て「日本国の内外において直接間接にドイツ、イタリヤ等の政府または国民により全部または部分的に所有または管理されている全財産、その他資産及び帳簿、その他の記録を直ちに押収して、十五日以内に報告すべし」と命じ、日本国政府はこれに基いて同年同月二十日大蔵省令第七十八号を制定公布したことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
そして、右覚書は超憲法的効力を有するものと解せられ、これに基く同省令第四条に「大蔵大臣の許可を受くるに非されば、本令施行地内において特定国財産の得喪、滅失、毀損、変更または移動を生ずべき取引または行為をなすことを得ず」と規定する主意は、その後発効した日本国との平和条約第二十条が、日本国に、千九百四十五年のベルリン会議の議事の議定書に基いてドイツ財産を処分する権利を有する諸国が決定したまたは決定する日本国にあるドイツ財産の処分を確実にするために、すべての必要な措置をとる義務のあることを明定していることから推して、連合国のドイツその他の特定国に対する賠償請求権の目的となつている特定国財産につき、省令施行の昭和二十年九月二十日当時の現状変更を抑制し、賠償請求権の実現を確実にすることにあることは明らかである。
そうすると、大蔵大臣の許可を得ずに特定国財産の現状に変更を生じさせるような法律行為をした場合、その行為の効力は日本国延いては連合国に対する関係において全然効力がなく、その行為の法律効果の付与が拒絶され、行為者はもとより日本国延いては連合国もその効果を主張ないし認めることができないものと解される(この点被告主張の対抗できないのと異る)。しかし、先に説明した同省令制定の目的から考えると、特定国財産の得喪ないしは移動を目的とする法律行為がなされた場合、その当事者間における法律行為上の債権的な関係は成立すると解するのが正当であり、同条の趣旨も特定国財産の現状変更行為を絶対に禁止するものでないことは、大蔵大臣の許可を得たときは完全に有効となすの法意からもうかがわれる。したがつて、同条に違反する行為、なかんずく法律行為により意欲したものとして示された法律効果は、絶対的ないし確定的に否定されるのではなく、同省令延いては当時超法規的効力を持つていた連合国最高司令官の覚書の効力によつて、その発生が妨げられるに止まると解すべきであるから、後日大蔵大臣の許可ないし連合国最高司令官による特定国財産からの解除等法律効果の発生を妨げていた事項が除却されれば、さかのぼつて有効となると考えるのが相当である。
ところで、前記大蔵省令になる特定国財産の規制は、連合国最高司令官の要求に基きドイツ財産を管理し、または処分するため必要な事項を定めることを目的として昭和二十五年八月四日公布翌日施行された政令第二百五十二号によつてうけつがれ、同政令はその第四条で「昭和二十四年十月十三日においてドイツ人財産であつた財産は、他の法令の規定にかかわらず、同日において米英仏三国に帰属する」旨定めているが、成立に争のない甲第五号証の一ないし三、証人佐々木一美の証言を総合すれば、米英仏三国は在日ドイツ財産の管理処分につき日本政府に対し指示する権限を有する機関として三国委員会を設立し、三国委員会は日本国政府に対し昭和二十七年十二月十三日付書面を以て、別紙目録記載の建物の所有権並びに同土地の地上権を含む亡ヨハンの遺産がドイツ財産から解除された旨の通知を発し、日本国政府は大蔵省財産管理局長名を以てその旨原告並びに被告キュンケレの代理人ラドルフ・ハーバート・ウイルウエーバー宛に通知したことが認められ、成立に争のない乙第一号証(その内容は凍結解除の予告と認められる)の存在、証人竹内一郎、同ラドルフ・ハーバート・ウイルウエーバーの各証言も右認定と相容れないものではなく、他に右認定に反する証拠はない。
したがつて、原告及び被告キュンケレは、昭和二十七年十二月十三日以後その相続した亡ヨハンの遺産について、主務大臣である大蔵大臣の許可を要せずしてこれを分割することができるようになつたのであるから、その分割の合意として成立した係争の調停は、その効果の発生を妨げていた事項が除却されたことになり、さかのぼつて有効になつたということができる。
そうすると、原告の被告キュンケレ及び同ベッカに対する遺産分配の調停が無効であることの確認を求める請求は、その理由がないからこれを棄却する。
次に、原告の被告ら(被告ベッカを除く)に対する登記抹消の請求について考えてみよう。
右被告らが別紙目録記載の各不動産につきそれぞれ原告主張のような権利取得登記をなしていることは当事者間に争がない。しかし、請求原因を理由あらしめる事実として述べられている前記遺産分配の調停が無効であるとの主張は、前段で判断したと同一の理由を以てこれを認めることができないから、原告の右請求はその余の主張について判断するまでもなく失当であつて、棄却されるべきものである。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
神戸地方裁判所第四民事部
裁判長裁判官 森本正
裁判官 麻植福雄
裁判官 志水義文